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「信行、なにをしていたのだっ!」
信長の怒りも届かないのか、信行は唖然としたまま帰蝶を見ていた。
(見られたっ)
その様子に帰蝶は悟った。
とっさに腕で隠したが、あの様子だと直に肌蹴てしまった胸を見られたのだ。
だが信行も信じられないのだろう。
問い掛けるような眼差しで、じっと帰蝶を見つめ続けている。
帰蝶は蒼白になった。
ひとり信長だけが怒りの形相で立っていたが、帰蝶の着物の切れ端を貫いていた信行の刀を引き抜くと、信行に切りかかろうとした。
「殿、お止めくださいっ!」
後ろから抱き付いて止めたのは藤吉郎だった。
信長の動作を、他人事のように見ていた信行が驚きもせずに呟いた。
「兄上……・そんなにこの人が大事なのですか」
「なに?」
「この人は斎藤家の人間ですよ」
「それがどうした」
「美濃は……・父上の代からずっと敵だったんだ」
「そんな事はわかっている」
「この人が、そんなに好きですか」
「なにが言いたいんだ、お前は」
「私たち織田の家族よりも、美濃から来たこの人の方が大事なのですか?」
座り込んだまま信長を見上げた信行は泣いていた。
「なにか勘違いをしていないか」
信長も事の成り行きに困惑している。
信行の言動が良く分からなかった。
「母上やわたしより、この人がいいのですか」
信行の問い掛けに、
「信行、私がお前たちを嫌ったことなどない。むしろ私を嫌っていたのは母上の方だろう」
信長は刀を降ろして信行を見つめた。
土田御前は信長が自分の実子であるにもかかわらず、乱暴者だと嫌っていた事は誰もが知っている。
「帰蝶も亡くなった美濃の舅どのも、大事に思っているがな。母上もお前も疎ましく思ったことなどない」
「嘘だ……・・」
信行は誰に言うでもなく呟いた。
「嘘ではない」
だが信行は納得していないようだった。
「この人は……いったい…………」
信行に見つめられて帰蝶は固まった。
帰蝶を見つめた視線をそのまま信長に当てて、信行がなにか言いたげな顔をした。
何を言い出すのかと、帰蝶が緊張したその時、
「さ、信行様。あちらへ行きましょう」
先ほど信長を押さえていた藤吉郎が信行の側へ来ると、信行の腕を取って立ち上がらせた。
藤吉郎はそのままなにか言いたげな信行を促し、腕を取って引きずるように行ってしまった。

「帰蝶、大丈夫か」
信長は裾も袖も千切れてしまった着物を見て、
「あやめ、帰蝶の着替えを…………」
そう告げた。
「はい…………」
安心したように帰蝶から離れてあやめが着替えを取りに行く。
「殿……」
帰蝶は不安げに信長を見た。
絶対に見られた。
帰蝶は確信していた。
「心配するな、それより怪我をしているぞ」
「え?」
言われて気づけば、腕からは出血していた。
どうやら信行の刀の切っ先が触れていたらしい。
気づく余裕もなかった。
襲われたことよりも、気づかれたことに動揺している。
「大丈夫だ」
そんな帰蝶に信長はもう一度言った。



◇◇◇



腕の傷がいえる頃、帰蝶は信行が処罰されたのを知った。
自分の罪を悔いて自害したと聞いたが、本当のところはわからない。
あの後監禁された信行の処遇を巡って、母親の土田御前は帰蝶のもとへもやってきた。
信行が帰蝶に対しても乱行を働いたことを聞いたらしい。
頭を下げて必死に許しを請う土田御前に、信行のことを怒ってはいないことを告げながらも帰蝶は別の怒りを抱いていた。
なぜその半分も信長を受け入れてはくれないのか。
もしも信長を嫡子だと認めてくれていれば、家臣たちも無謀な野望など抱くこともなかったのだ。
そして信行が利用されることもなかった。
帰蝶のことは問題ではない。
あのとき、すでに信行とその家臣、林佐渡守の弟、美作(みまさか)は二度目の信長暗殺を実行に移そうとしていた。
最初の企みの時は兄の林佐渡だけを処分して、信長は事を納めようとしたのに。
その気持ちを無にして、愚かな家臣たちとそれに担がれた信行は再び事に及ぼうとした。
二度目はない。
どんなに土田御前が懇願しようと、もう遅すぎる。

「なぜ…………」
帰蝶は唇を噛んだ。
帰蝶の実家はすでにない。
兄義龍は帰蝶の幼い弟たちを殺し、父を攻め、母親もろとも殺した。
帰蝶が愛した家族は今はすでに亡い。
そして嫁いだ織田家も……
ここでもしも信長が討たれることがあれば、織田家は崩壊する。
信行では支えきれない。
最初、信行に付いていた佐久間大学や柴田権六などは途中でそれを見抜き、信長側に寝返った。
信行はなぜ気づかなかったのか。
「私の……せい、なのか?」
帰蝶は思い返す。
兄を取られたと思ったのか。
まさかそんな子供じみた軟弱さが信行にあったとは思えないが。
だが信行は信長を愛していたらしい。
それが兄に対するものなのか。
それとももっと違っていたのか、帰蝶にもわからない。
だが信行は信長という人間をよく知っていたのかもしれない。
一度でも裏切ったらけして許してはもらえないと。
もう二度と心から受け入れては貰えないのだと絶望したのかもしれない。
そして信行は帰蝶に対して抱いた疑問を、日の目に晒さずにあの世へ持って行ったらしい。
なぜなのか。
どちらの疑問も、もう信行に尋ねることはできないが。
「信行殿…………」
いまはもう花もない、庭の桜の大木の陰に、信行が居るような気がする。
哀しい思いで帰蝶はそこへ目を遣った
けれど夏の葉が生い茂ったその木は、大きな陰を作るだけだった。


-完-


-綺譚メモ帳-

第四章、完です。
この章はかなりというか、ほとんどフィクションでお届けしました。
というか、この先はほとんどこんな感じですね(笑)

私は信行という人がそれほど悪い人だったとは思えません。
けれど、信長に比べれば明らかに平凡だったのでしょうね。
もっとも、信長のような非凡な人は歴史上にだってそれほどいるわけではないので無理な話ですが。
信長は今で言えば放置、虐待の犠牲者なんでしょうか?(笑)
そんなに柔な人ではないけれど、人間形成に問題が残ってしまったのは間違いなさそうですね。
やはり子供は成長過程が非常に大事なのではないかと思います。
もっともこの時代の人間にそれを求めるのは滑稽なのかもしれませんが。

さて次回。
時代はいよいよ「桶狭間」
とは言っても帰蝶が戦場へ行くわけではないので、またまた城内でのお話になりますが。
藤吉郎の次はお市ちゃん登場!ですvv
さてどんなお嬢ちゃまでしょうか?(爆)
暫しのお休みを挟んで―第五章―でお会いしましょう。





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