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信長と道三の面会は美濃と尾張の国境にある寺で行われた。
滞りなくすべてを済ませて戻った信長を見たときは正直腰が抜ける思いだった。
「殿……」
ほっとした様子を見せる帰蝶に信長は
「こんなことくらいで腰を抜かしていたら、この先どうするのだ」
「すみません」
夜二人きりになった部屋で信長はからかうように帰蝶に言った。
「蝮は俺が気に入ったらしい」
信長らしい人を食ったような科白を聞いて帰蝶の肩の力が抜けた。
「それは良かったです」
「舅どのには言っておいたぞ、帰蝶は俺の同志になったのだと。もう美濃に帰ることはないと言っておいたから、そのつもりでいろ」
まるで帰蝶の手紙を読んだようなことを信長は言った。
「連れていってやれなくて悪かったな……舅殿もおまえに会いたかっただろうに」
「いいんです」
帰蝶は胸が詰まる思いだった。
その言葉だけでいい、そう思った。
「いや……俺もおまえを見せたかった。尾張でもちゃんとやっているお前を」
「父は……わかってくれていると思います」
思わず気がゆるんで涙腺まで緩くなりそうな自分を帰蝶は呑み込んだ。
女のようにいちいち泣きたくはない。
「蝮は俺を見て驚いておったぞ、顔には出さないようにしていたようだがな」
「父はあれで案外常識人なのです。殿が普段の格好で現れたらそれを理由に難癖を付けたと思います」
「だろうな。まさかまったく違う格好で現れるとは思わなかったらしい。帰蝶の入れ知恵だと気づいただろうがな」
帰蝶は信長の正装を準備して持たせ、供の者にも髪型から着付け、小物のたぐいまで細かく指示を教えておいた。
自分が側に居られないために、くどくどと何回も教えておいたのだ。
立派な信長の正装をこの目で見られなかったことが心残りだが。
「今回の勝利は帰蝶のものだな」
信長の言葉に
「なにを言うんです、本当はご自分だってそのつもりだったくせに」
帰蝶は思いがけない言葉にあわててしまった。
「いい嫁だと蝮に言ったら、複雑な表情をしておったぞ」
笑う信長に
「父はどう思ったでしょうか……」
帰蝶も複雑な表情をした。
「幸せならいいと、そう言っていた」
「え?」
「蝮に手紙を書いたそうだな」
帰蝶は頷いた。
「言っていたぞ、'もうあれは帰らんつもりらしいからよろしく'とな」
帰蝶は俯いた。
うれしさと淋しさが同居した複雑な気分だった。
「なんだかな、嬉しかったぞ」
そんな帰蝶に信長は言った。
「お前の覚悟が見えて、嬉しかった」
「殿……」
「俺のものになるか、帰蝶」
「え?」
「お前は男だ、女とは違うと言った。だが俺はお前が欲しくなった。同志としてのお前だけでなくてな……人間としてお前が欲しくなった。女扱いにするつもりはない。それでも俺はお前の全部が欲しいと思う」
「と…の」
帰蝶もいままで考えたことがないわけではなかった。
心のどこかでいつかこうなる気がしていたし、なるだろうとも思っていた。
男同士と言う禁忌はこの時代にはほとんどない。
おおっぴらにさせることではないが、珍しいことではない。
しかも帰蝶は形では信長の妻である。
「嫌か?」
言われて、だが帰蝶はとまどった。
「いやではありません、けれど……」
「なんだ」
「私は女ではありませんから……」
「わかってる」
「子供も生めません」
「そんなことは気にするな、世継ぎなど代わりの者が生む」
帰蝶は静かに微笑んだ。
信長のその言葉は帰蝶を楽にして、同時に苦しくさせる。
けれど信長は気づいてないだろう。
そう言う男だった。
「どうなのだ」
そろそろ信長は苛々してきている。
短気な信長にしては辛抱強く待ったのであろう。
ひょっとしたら婚礼の日から抱こうと思っていたに違いない。
それなのに何年も辛抱強く待って、しかもこの期に及んで帰蝶の気持ちを確かめるなど信長にしては破格の扱いに違いない。
欲しければ力づくで奪う人間である。
そしてそれが出来る人間だった。
「もう美濃に帰る場所はありません、殿の側で死ぬまで居る覚悟です。だから私のすべてはぜんぶ殿のものです」
帰蝶は信長に告げた。
「そうだ死ぬまで側に居ろ。お前は他の女達とは違う。俺の夢に最後まで付いてくるな。たとえ最後のひとりになっても」
「もちろんです」
その言葉が引き金だった。
信長は待ちきれないように帰蝶をその腕に抱いた。
出会ってから信長の中にも葛藤がなかったわけではない。
けれど自分の背中を帰蝶になら預けられると感じた。
感じたことを素直に信じたいと信長は思った。
その夜、硬質でたおやかな帰蝶の肌を信長は初めて手にした。
そして信長は熱い肌のまま帰蝶に告げた。
『欲しかったのだ、けして女の代わりでなくお前という人間が欲しかった』
帰蝶はその言葉だけで自分のすべてを与えてもいいと思った。
桜の下に佇む信長の姿が帰蝶の脳裏を掠めた。
強い信長を支える人間は他にいる。
自分はあの淋しげな信長に惹かれたのだ。
孤独な信長を愛している。
――――春が行こうとしていた。
桜も散ってしまった春も遅い出来事。
信長の夢はまだ始まったばかりだった。
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