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「落ち着け!なにもしない。話すだけだ」
信長の落ち着いた声に帰蝶はおとなしくなる。
だが身体の方はまだ震えていた。
信長はおとなしくなった帰蝶を腕の中で抱え直すと、乱れた薄掛けを直し、そっと帰蝶の背を撫でた。
二人は並んで横になる。
帰蝶は信長の胸に抱えられたままで、緊張と安堵を同時に覚えた。
不思議なのはこの安堵感なのだ。
緊張は分かるのだが、なぜ信長のそばにいると安堵するのかわからない。
数少ない例外を除けば、帰蝶は信長に対して緊張よりは安堵を覚えた。
自分より強い男だからか?
畏怖より安堵というのが自分でもよく分からなかった。

「また驚かせて悪かったな」
「からかったのですね、わざと怖がらせて」
落ち着いて状況が分かると頭の回転の早い帰蝶には信長の悪戯が分かった。
わざと怖がらせたのだ。
「驚かそうと思ったが、怖がらせるつもりはなった、悪かった」
「いいえ…」
必要以上に怖がったのは自分の方だ。
帰蝶は恥ずかしくなる。
自分の思い過ごしで顔が赤くなった。
「聞いてもいいか」
「なにをです」
「どうして女なのか、嫌なら話さなくてもいいが」
「いえ、もういまさら隠すこともないですから」
この先、死ぬことになっても信長なら余計なことは口外せずにいてくれると思う。
そのくらいの信頼は感じていた。
「父は敵が多いですから…」
「外に…ではないな」
さすがに信長は察しがいい。
「兄は…父を誤解しているのです」
「竜興か」
「父を仇だと思っています」
「蝮どのもいろいろやってきたらしいからな。親父どのには聞いたのか」
「いいえ、父は何も言いませんし私もそのことは問いません」
「だがお前が女にさせられたのはその辺が一番の理由なのだろう?」
「兄やその家臣たちはずっと不穏でしたから。父は母と私が狙われるのを危惧したみたいです」
「お前に美濃をやりたかったのか」
そこまで見抜く信長に帰蝶はやはりただなら無い物を感じた。
「無理です、いまさら私が男だと言うわけにも行かないでしょうし、兄もけして愚かなわけではありません」
「逆に悔やんだだろうなお前の親父は」
「そうでしょうか」
「女にするのではなかったと思ったはずだ。別に今から訂正しても問題はあるまいにどうして俺のところなんかに」
「父がどう思っていたのかは知りませんが、ここへ来たいといったのは私です」
信長が少し驚いたように帰蝶を見た。
「なぜだ?」
「あなたを知っていました」
「どうして?」
「連れていって下さったあの国境いのあたりで何度か見かけていました」
「おれをか?」
「はい」
「小姓の格好をした小柄な男が何度かうろついてるのを見た」
「ご存知だったのですか?」
川の反対の森の木陰から隠れて見ていたので気づかれているとは思わなかった。
「別に何をするわけではないようだったから、見られるくらいなんでもなかったが…そうか、あれが…さすがにお前とはわからなかったがな」
「興味がありました」
「俺にか?」
「逢ってみたかった」
「それで、会って殺すつもりだった?」
帰蝶は黙った。
本当に自分はどうするつもりだったのだろう。
「俺を騙せると思っていた?」
「わかりませ…ん」
帰蝶は正直に答えた。
「おかしなやつだな」
信長は笑った。
「それで?これからどうするのだ?」
「は…い?」
どうするもこうするも信長の考えひとつなのではないか。
帰蝶に聞かれても困る。
「ですから、できればあやめのことは国に帰して頂けると」
「それはできんな」
「でも…」
「あやめを帰すと、お前の世話をするものが居なくなる。さすがに俺もお前を今更男だというわけにはいかない」
「私は…」
「殺すと思ったか?」
帰蝶は黙った。
「家名にも俺にも泥を塗ることになる。いまさら嫁が男だったとはいえないし、お前を殺して蝮とこの時期に要らぬ戦になるのは馬鹿らしい。お前は殺さないし、家にも帰さない。そのつもりでいろ」
「は…い」
帰蝶は中途半端なまま、どうしていいかわからない。
どうやら一番望まない形で、尾張にとどまることになりそうだった。
仕方がない。
「なんなら、逃げてもいいぞ」
ぞっとするような冷たい目で見つめられた。
「楓はやる。逃げられるならにげてもかまわん。俺はな」
信長の言葉に
「いいえ、逃げません」
帰蝶は小さな声で答えた。
「もう少し寝ろ」
信長はそう言うと、帰蝶を腕に抱いたまま自分も寝息を立てた。

帰蝶は泣いた。
声も出さずに泣いた。
けれどそれが何の涙なのかわからない。
信長に叶わないと思い知らされたからか、とりあえず無事な自分に安堵したのか、見えない明日が不安になったのか。
なにひとつわからなかった。


―続―