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その日、帰蝶(きちょう)は自分の結婚相手をはじめて見ることになった。
この時代、話だけが先を行き本人たちが対面するのが結婚式当日などということは常識だった。
そして結婚が政略結婚などという生易しいものではなく、ひょっとしたら生きるか死ぬかの大博打の時代でもあった。
なぜなら実家の事情を背負い、敵方に嫁ぐ花嫁というのもまた当たり前だったから。
昨日の敵は今日の縁戚であり、親兄弟が明日は敵になる世の中である。
だからこの時代の女は強い。
男もそうだが、女もけして人形のようにあちこち勝手に送られるだけではなく、嫁ぎ先を探るスパイであり、調停役の外交官であり、場合によっては自分の夫を殺すかもしれない暗殺者でもありえる。
たとえ実家の都合で勝手に嫁がされた身であろうとも、ぼんやりしていたら自分の身が危ないのだ。
この時代、男も女も凡庸であること自体が罪だった。


そして帰蝶の目の前の男。
果たしてどちらなのか?
世間一般では「うつけ」と言われている。
だが帰蝶はそれだけではないことを知っているし、実家の父も同じだった。
この結婚話が来た時に、父はいい顔をしなかった。
父が帰蝶を溺愛していたということもあるが、帰蝶には秘密があったからだ。
だが帰蝶は自分の命と引き換えになるかもしれないこの危険な行為を自分から引き受けた。
ひとつは誰よりも愛している父の為。
そして何よりも帰蝶自身がこの男に非常に興味があったからだ。
自分で確かめたい。
その強い思いだけでここまでやってきてしまった。
来てしまったが…

「どうしよ…」
帰蝶はさすがに思案した。
なんとかなるといつもの無鉄砲さでいたのだが、これは…何とかならないかもしれない。
「姫さま、どうなされます?」
子供の頃から唯一のお守り役の侍女あやめが、ため息を吐く。
帰蝶の側でずっと居るだけあって、女にしておくのはもったいないような頭脳と性格なのだがさすがに困っているようだ。
「夜ならなんとか誤魔化せると思ったんだけどな」
帰蝶はこの城に長居をするつもりはなかった。
輿入れは口実で、あの男のことが分かればさっさと実家へ引き上げるつもりだった。
だからあの男と夫婦になるつもりはない。
何とか一週間ほど誤魔化せればどうにかなると踏んでいた。
体調が悪いと言って床を一緒にしなければいいし、暗がりなら少々は身体の秘密は誤魔化せるとも高を括っていた。
何しろ触らせなければいいのだから。
それなのに、どういう番狂わせか見られてしまったのだ。
だいたいまだ祝言もあげていないのに、湯浴みを覗くとはどういう事なのか。
周りのものが止めるのも聞かずに
「どうせ夫婦なのだからいいじゃないか」
といきなり戸を開けたのだ。
衝立てがあったので周りのものからは見えなかったが、長身のあの男の視線の先にははっきりと帰蝶の裸が見えたはずなのだ。
その瞬間、帰蝶は騒ぎになり命を落とすことも覚悟した。
なぜなら帰蝶は『男』だからだ。
なのにあの男は何もなかったように
「すまん」と踵を返して去ってしまった。
急いで湯殿を出たものの、帰蝶の方が面食らってしまった。
「わからなかったのではありませんか?」
実家でも事情を知るものは数少ない。
そのうちの一人であるあやめが呟く。
「そうかな、そんなことないだろ?だって…」
それならなぜあの時あの男は出ていってしまったのか。
でもそれを言うならなぜなにも言わなかったのか。
「やっぱり良く分からん男だよな」
あやめに婚礼の支度をさせながら帰蝶は呟いた。




帰蝶は美濃の国に生まれた。
父は国を治めている斎藤道三。
若い頃からの傍若無人さで「蝮」と渾名される食えない男だった。
母は明智家の姫で小見の方と呼ばれている。
道三はその出世物語が尽きないほどの立身出世の男だ。
ただし悪名高き―――
だが帰蝶はこの父が好きだった。
世間が言うほど冷酷な男ではない。
確かにいろいろやってきたのかもしれないが、この時代、それはむしろ当然のことだった。
道三は時代を見る力があり、人を見る目がある。
母にも帰蝶にも優しかったし、無理を言うようなことはしなかった。
だが、他の兄たちには違ったようだ。
帰蝶には兄が数多く居る。
これもまた当然のことながら、腹違いの兄弟たちだ。
その兄たちと父はうまくいっていなかった。
特に嫡男の義龍とは犬猿の仲で油断できない関係にあった。
そんな事があった事情で帰蝶が小見の方から生まれた時に、道三が一計を案じ、帰蝶を女として育てるといいだしたのだ。
もちろん小見の方は反対したが、命を狙われるよりはましだろうという道三の言葉に負けたのだった。
その時道三には予感があったのかもしれない。
小見の方に似た綺麗な面差し以上に、将来とんでもなく利発に育つであろう帰蝶の未来が。
「この子を跡取りにしたい」
その思いは最初から道三の胸のうちにあった。
だが義龍との確執は酷くなるばかりで、帰蝶を跡取りにするなど事情が許さなかった。
そんな中で持ち上がった縁談だったのだ。
もちろん家中のものも、近隣諸国にも帰蝶は美しい『姫』だと知れ渡っている。
断る理由もないまま迷っている道三に、帰蝶は今回の計画を告げた。

父、道三はこの尾張の跡取りをたいそう気にしていた。
世間で言う、ほんとうに「うつけ」なのかと。
だが確かめる手だてはない。
それを知っていた帰蝶が今回の計画を持ち掛けたのだ。
一応反対した道三も、帰蝶の度胸のよさと頭の良さ。
そして武道の心得の確かなことを知っているので、帰蝶に任せてみることにしたのだ。
ばれたらばれた時のこと。
今まで表立って何もやらせたことはないが、帰蝶の才覚を試すにもよい機会だった。
そこは「蝮」、利用できるものはたとえ一番愛している娘?であろうと利用できるものは利用する。
そうやって帰蝶は今ここに居る。
さて、あやめが支度してくれた婚礼の衣装も調い、帰蝶は祝言に向かった。
生まれた時から女の格好には慣れているが、これはさすがに重かった。
いつもより更に仕立ての良い生地に豪奢な飾り。
さすがに尾張の跡取りに美濃の姫が嫁ぐとあって支度もすごかった。
「父上もこんなにしなくても、どうせすぐに帰るんだから」
とんでもないことを呟きながら大広間に向かった。
美濃の父が気合を入れているのと同様、こちらも跡取りの祝言である。
迎える支度も同じく気合いが入っており、なんだか気疲れする帰蝶であった。
さすがに長旅だったし、緊張もしている。
おしとやかに見せている外面と違って、太刀も振れれば乗馬もできる。
姫としての生活とは別に、男としての修行も密かに積んでいる。
だが体力だけがいまいちなのだ。
十四歳のこの歳で、やはり少女にしか見えない小柄な身体だった。
病弱というほどではなかったが、丈夫というほどでもなく。
男の姿でいたのならやはり少々物足りなかったかもしれないという容姿だ。
だがむしろ小柄だということと、飛び抜けた美貌は『姫』という仮の姿を怪しませることはなかった。

祝言の後半は疲れも手伝って少々苦痛になり、どうしようかと思った時に婿どのはやってくれた。
「えぇい、めんどうくさい!!いつまでやってるつもりだ。もういいから引き上げるぞ!」
噂どおりの傍若無人さで、ずらっと並んだ家臣や近隣の客たちを置いたまま、帰蝶の手を取りさっさと広間を出てゆく。
「ぁ、殿っ!」
さすがの帰蝶もそう声をかけたきり、引きずられるままに寝所まで戻ってきてしまった。
(どうしようか)
帰蝶は先の展開も考えぬままに思わぬ展開になったことに面食らう。
まだしばらく宴は続くはずだったのだが。
だがしかし、少々気分の悪くなった体にはありがたかったけれど。
(どーすんだよ)
再び自分に問う。
先に裸も見られてしまったことだし、ここは腹を括るしかないかもしれない。
帰蝶はそっと胸元に隠した懐剣を確かめた。
美濃を出る時に父から渡されたものだった。
いまの自分を守るものはこんな小さな剣しかなかった。
はたして目の前の男がこんなものでやられるかはわからないが、今更どうにもならない。
駄目なら捕まる前に自害をするまでだった。
一瞬、緊張が帰蝶を包んだ。
身を引き締める。
その時…
「今日はもう休んだ方がいいぞ」
思いもかけない言葉が男からかけられた。
「は?」
言葉のままに理解できなくて、帰蝶は少々間抜けな声を出してしまった。
「疲れてるだろう?風呂で見かけた時から顔色が良くなかったぞ」
「ぁ…」
驚いたまま言葉がでない。
あの一瞬の邂逅で帰蝶の体調まで見抜いたというのか。
「まったく、年寄りどもはそういう気遣いもできんから困るよなぁ。お前もこれからは遠慮などせずに具合が悪い時はそう言うのだぞ」
「ぁ、はい」
答えながら帰蝶は抜け目なく男を観察した。
本心なのか?
本当にただ心配してくれているのか、それとも油断させているのか。
「おい!」
思わず返事をしそうになったが、呼ばれたのはどうやらこの寝所に詰めている侍女や家来らしい。
「はい」
かしこまった侍女に
「もうここはいいから、全員下がれ!」
と告げた。
「ですが…」
寝所に侍女や家来が控えているのは普通のことだ。
次の間で警護する為だった。
交代で寝ずの番をする。
「お前達が居たら、帰蝶がゆっくり眠れないじゃないか。いいから下がれ!」
大きな声で怒鳴られて、みないっせいに去ってゆく。
「帰蝶さま…?」
あやめだけがどうしたものかと心配げに帰蝶に問う。
「おまえは?」
不躾に問われてあやめが緊張したのが分かる。
「あやめです、里から連れてきました」
慌てて帰蝶が代わりに答えた。
「あやめ、あなたももう良いから下がりなさい」
「いいのですか?」
不安そうなあやめに
「大丈夫ですよ」
と答えてやった。
本当はあやめも離れたくないだろうが、あやめ一人を側に置くわけにはいかなかった。
「安心しろ、べつに取って食ったりはしない」
物騒な台詞をはいた主人を不安そうに見ながら、あやめも去っていった。
広い寝所で二人きりになってしまった。
再び緊張が走ったが、それを躱すように
「もう寝ろ」
と再び言われた。
今度は返事をするまもなく、
「俺も今日はもう休む」
そう言って、帰蝶の寝る場所なのか布団の大部分を明け渡し、自分は寝床からはみ出るようにごろんと横になる。
「ぁ、殿さま…風邪を引きます」
まだ寒い季節である。
慌てて呼びかける帰蝶を尻目に、しかしすでに男は夢の中だった。
「なんという…」
あれほどの緊張に拍子抜けになりながらも、帰蝶はありがたく休むことにした。
せっかく男がくれた休息だった。
騙すも戦うもどうやら勝負は明日以降に持ち越したようだった。
そういう点は帰蝶も心臓が強い。
重かった花嫁用の白い打掛を脱ぐと、背中を向けている男の背に掛けてやった。
「おやすみなさい…」
そうやって尾張の国の第一歩、長い一日が終わった。





−綺譚 メモ帳−


これは歴史小説でも時代小説でもありません(笑)
どちらかというとほんわかしたBLものと思ってください。
ですが、お気づきの通りに「殿」とは、かの織田信長のことですし、帰蝶(きちょう)というのは彼の奥方とされている「濃姫」のことです。

なぜこれがBL(♂×♂)になるかという設定については、
雑記帳で語りますのでそちらを読んでくださいね。

時代背景はぼちぼちと各話の時に語っていきたいと思います。
今回は帰蝶の結婚の経緯を…
このころ信長はまだ家督を継いでいません。
このすぐあとに父親が死に、あの有名な父の位牌に灰を投げつけるっていう出来事があるんですが、父親は領地を広げたものの勇者色を好む?と言う具合で信長に言わせると戦より女っていう晩年だったようで、信長にはそれが歯がゆかったようです。
もちろん信長はあの有名な「うつけ」という能なしのふりをして、自分の将来に備えて情報集めやら人選やらをしていたのですが、その信長の人となりを疑問に思った美濃の斉藤道三は娘の帰蝶が嫁入りするときに「もし本当に能なしなら殺してしまえ」と言って懐剣を渡したそうです。
そのときの帰蝶の答えが「でももし尾張の殿を好きになってしまったらこの剣は父上を刺すかも知れません」と言うもので、それを聞いてさすがの蝮も「いいだろう」と笑ったとか。
道三は、この帰蝶が女なのをずっと嘆いていたとか(本当はもちろん女ですよ(笑))
男なら絶対に跡を継がせたいと思っており、その帰蝶がけっきょく信長を愛したことを知り、信長のことも相当な男だと認めるのです。
もちろんそこにはあの有名な婿と舅との対面シーンがあるのですが。

ちなみに帰蝶というのは幼名のようで、「濃姫」というのは信長に嫁いだあとに「美濃の姫」と言うことでこう呼ばれたようです。
作者は「濃姫」の呼び方の方が好きなのですが、この話の中では一応「男」と言う設定のために「姫」はどうかと思い、帰蝶にしました。